大阪家庭裁判所 昭和49年(家)1376号 審判 1976年3月31日
申立人 村田紀子(仮名)
相手方 深沢則和(仮名)
主文
本件申立を却下する。
理由
1 本件申立の要旨は、申立人と相手方は昭和三八年二月二一日婚姻した夫婦であつたところ、相手方の不貞と性格不一致から家庭不和を来し、昭和四七年六月一四日双方間の長男彰夫(昭和三八年一〇月二三日生)二男宏司(同四二年一一月二九日生)の親権者をいづれも申立人と定めて協議離婚したが、その際、相手方は申立人に対し上記二児の当分の間の養育料として離婚時に一〇〇万円、昭和四八年及び同四九年に各一〇〇万円づつを支払う旨、及び財産分与として、申立人相手方が協力して築いた財産のうち、大阪市○○○区××一丁目二一番地宅地一八、六二平方メートル、同所同番一四宅地二〇、五四平方メートル、同各地上家屋番号北畠一丁目二一番一三木造瓦葺二階建店舗兼居宅一階三〇、四三平方メートル二階二三、七六平方メートルの土地建物(本審判中以下これを○○の土地建物と略称する)及び同建物内に存するミシンその他の営業用財産(購入価格計二、七〇二、〇〇〇円)は相手方の取得、大阪市○○○区××町五丁目一四番五宅地九九、一七平方メートルと同地上家屋番号同所四〇番木造瓦葺二階建居宅一階四六、七七平方メートル二階三六、七二平方メートルの土地建物(本審判中以下これを××町の土地建物と略称する)の各共有持分七五〇分の三五〇及び同建物内に存する家財道具(購入価格計一、四二〇、〇〇〇円)、△△市○○○町所在の墓地六、六平方メートルと墓石(購入価格二〇万円)並びに銀行預金二、六九六、四二六円は申立人の取得とする旨の協議が成立した。この財産分与の趣旨は、婚姻中夫婦で営んで来たミシン刺繍加工業は相手方が経営することにし、それに必要な財産は相手方の所有となし、その他の財産は申立人に取得させようと云うものであるが、ただここで申立人と相手方が築いて来た営業体の権利即ち営業権については何らの分与協議もなされず残置されて来たところ、その評価格は離婚前一年間の上記営業より生ずる純利益に相当する金四、三四三、三五七円とみるべきであり、申立人にはその半額に当る金二、一七一、六七八円を財産分与されるのが相当である、又相手方は前記分与協議で定められた銀行預金債権につきその証書を申立人に引渡さず、却つて申立人の取得となつた家財道具の返還まで求めている、そこで申立人は、相手方に対し財産分与により申立人の取得となつた前記××町の土地建物の共有持分、家財道具、墓地、墓石が申立人の所有に属することの確認と前記、銀行預金債権相当額二、六九六、四二六円の支払い、及び前記営業権についての財産分与として二、一七一、六七八円の支払いを求めて本申立に及んだ、というにある。
2 そうすると申立人の申立の趣旨の前段は、既に成立した分与協議にもとづく所有権の確認と、未履行分の履行の請求であつて、かかる事項は家事審判事項の前提問題でもなく、純然たる訴訟事項であるから、これを家事審判に求めることは管轄違いであり、かつこの場合管轄地方裁判所へ移送することもできないと解せられるので、この部分については申立は却下を免れない。そこで申立趣旨の後段の部分、即ち先になされた財産分与において分与協議の対象とされなかつた財産の分与審判を求めるとの点について次に考究する。
3 当事者双方及び参考人梅田和夫の各審問、家庭裁判所調査官の調査、その他相当の証拠調べの結果によると以下の事実を認めることができる。
(1) 申立人と相手方は昭和三七年一〇月ころ結婚式を挙げ、事実上の夫婦生活に入つた。相手方は、当時申立人がその母みよと共に住み、ミシン刺繍下請業を営んでいた○○市△△町の申立人方に俗に云う入婿の形で入つたもので、同三八年二月二〇日前記みよと養子縁組をし、同年同月二一日には申立人との婚姻届出をなした。結婚後、申立人は引続きミシン刺繍下請をして働らき、相手方は従前から稼働していた兄の作業服加工業に勤める傍ら、申立人の刺繍下請の法文取りや集金の仕事を援け、又母みよはさしたる収入にはならなかつたものの、近隣知人から依頼があると鍼施療や祈祷の仕事をして共に生活し、その間昭和三八年一〇月二三日夫婦の間に長男彰夫が生まれたが、同三九年ないし四〇年夏ころ、申立人と相手方は大阪に出てミシン刺繍加工業を行おうと云うことになり、上阪して××区○○○一丁目の小さな文化住宅を賃借し、ミシン刺繍店を開業し、申立人はミシンを踏み、相手方は注文取りに出て稼働した。当初は顧客も少く、相手方がセールス・マンのアルバイトに出たりしたこともあつたが、夫婦協力して働らくうち営業も次第に軌道に乗り、折柄の刺繍業の好況と、有力同業者の△△△こと梅田和夫から目をかけられて大口受註が得られるようになつたなどのこともあつて業績は発展し、昭和四二年には○○の土地建物を四百数十万円で購入して店舗居宅をこれに移し、ミシンを買増し、職人も入れ、又外注にも多く出すようになつた。同年一一月二九日には二男宏司が出生し、同四四年には母みよが○○を引揚げて来て同居するようになり、同年一〇月には、みよが○○の同女名義の居宅等を売却した代金四〇〇万円に申立人ら夫婦の負担金三五〇万円を加えて××町の土地建物を買入れ、営業は○○で、居住は××町でなすようになつた。
(2) 上記のような婚姻生活の間、申立人ら夫婦は、母みよが○○市△△町の同女名義の不動産を購入した際の借金の返済を負担したり、昭和三九年同女が子宮癌手術のため○○病院に入院した際の入院費用療養費用を支出したり、又来阪後みよが○○在住中は、特に時期や金額を定めた訳ではなかつたが、適宣の折を心がけて同女に一回五万円位迄の仕送りを続けるなどのことがあり、他方家財道具や営業用財産も買増されてゆき、墓地墓石も購入した。
(3) 昭和四四年ころ、相手方が申立人やみよに秘して住込女店員上原某女に時計を買与えたことから、申立人が相手方に不貞行為ありとして夫婦間に争いが生じたが、相手方は不貞の事実を否定し、その後同四五年夏ころには上記上原も退職転出した。
一方申立人は、母みよが免許はないけれども鍼施療の素養があり、同女から将来のため鍼灸学校に通つて鍼の免許を取つてはどうかとすすめられたことと、刺繍の商売は好不況の波があつて将来の見とおしが必しも定かでないのに対し、折柄の中国景気もあつて鍼は近来その効用が人気を呼びつつあり将来性があると考えたことから、同四五年春ころから夜間鍼灸学院に通学するようになり、その後所定の修業年限を終えて鍼施療の資格を取得したが、相手方は上記通学が始つてから申立人の素振りがおかしい、帰宅時間も遅いとして、申立人の素行に疑いを抱くようになつた。
(4) 昭和四六年一一月ころ、申立人は相手方に対し性格不一致を理由に別居を申入れ、以後相手方は○○の店舗に寝起きするようになつたが、食事はなお××町の居宅で摂つており、申立人も昼間はミシン刺繍稼働のため○○の店舗に赴くので、実際には字義通りの別居状態が実現した訳ではなかつた。同四七年一月、申立人は突然家出して姿を隠し、同年四月始めころまで帰宅しなかつた。家出以後離婚に至るまで申立人はミシン刺繍の稼働は一切していない。ところで申立人が上記家出より帰宅した後ころから、夫婦の別れ話が具体化し始めたが、申立人の家出中相手方が××町の居宅に在つた預金通帳印鑑など一切を○○の方に持去つて了つたため、申立人側はその返還を求め、相手方側はいずれ離婚の最終段階で預金返還に関する解決をつけるとし、同年四~五月ころ、昭和四六年末残高一一六万余円、現在残高一六〇万余円とする預貯金額一覧表を申立人に提示したものの、申立人は預貯金は約三〇〇万円はある筈と考えていたため、これを了承するに至らなかつた。
(5) 昭和四七年六月四日○○の店舗に、申立人側は申立人と母みよ及び申立人の従兄弟村田憲二、相手方側は相手方と取引先△△△店主梅田和夫が集つて離婚についての最終的話合いが持たれた。席上、子らの親権者監護者の決定については、これを申立人とする旨の協議が成立したが、財産的問題の解決については、申立人側は主として村田憲二に、相手方側は主として梅田和夫に折衡を委ね、話合いは多く上記両者の間で行われ、冒頭から憲二が、離婚に当つては相手方は申立人に五〇〇万円を支払え、五〇〇万円出せば○○の土地建物は相手方のものとし、××町の土地建物は申立人のものとして解決するとして強く五〇〇万円の支払いを主張したため、折衝は難行した。その間申立人が前記預金の返還の問題を主張した場面もあつたが、これらも含め一括して五〇〇万円の支払いの是非が論議され、結局金銭的支払いについては、相手方の残高主張による預貯金残高一六〇余万円のうち金一〇〇万円を同年六月一五日迄に支払い、更に昭和四八年中に金一〇〇万円、同四九年中に金一〇〇万円合計三〇〇万円を相手方より申立人に支払うことで互譲が成立した。尤も相手方は、申立人にかかる支払いをせねばならぬ根拠がない、馬鹿らしいとして、これに強く反対したため、前記梅田が申立人に支払うのでなく子供達のために支払つてやるのだと思えばよいではないかと極力説得し、その結果支払名目は梅田の意見に従い養育料と表示することとなつた。その他不動産については、○○の土地建物は相手方の、又××町の土地建物は申立人のそれぞれ取得とし、申立人は相手方が○○の店舗において、顧客先、下請の職人も従来どおりのまま引続いてミシン刺繍営業を単独継続してゆくことを認めた。なお、以上の合意が成立したのちは、席上申立人より更に預貯金返還についての異議ないし請求は何らなされていない。
(6) 家財道具、ミシンその他の営業用財産については、特に明示の協議はなされなかつたが、当事者双方とも、相手方が○○の店舗を取得して従来の営業を継続してゆく以上同店舗内所在の営業用財産は相手方の取得になるべきものであり、又申立人が××町の居宅を取得する以上同居宅内所在の家財家具は申立人の取得に帰するべきものであるとそれぞれ了解していた。墓地墓石についても何ら触れられるところがなかつたが、申立人は当然申立人に帰属したものと考えており、相手方もこれに対し特段の異論はない。
(7) 上記協議にもとづき、相手方は同年六月一四日申立人に金一〇〇万円を支払い、夫婦は同日協議離婚届出をなし、同時に相手方とみよ間の協議離縁届出もなされた。ところが相手方が昭和四八年中に支払うべき金一〇〇万円を同年末までに支払わなかつたため、同四九年一月初めころ、申立人がその支払いを求めて自ら相手方に赴き、双方感情激高して掴み合いの喧嘩となつた挙句申立人が打撲傷等を負うなどの紛争が生じたが、同年一月二二日相手方は昭和四八年分同四九年分計二〇〇万円を一括申立人に支払い、申立人はこれを受領した。
4 ところで、営業用の不動産・動産・電話加入権・債権等の個々の権利の他に、申立人の主張するような包括的な営業権ないし営業上の利益なるものが、離婚に伴う財産分与の対象となりうるかは問題であるが、仮にこの点をしばらく措くとしても、叙上認定の事実に照らすと、前記六月四日の分与協議に際し、申立人は相手方が○○の土地建物(店舗)を取得し、同店舗において顧客先・下請の職人の関係も従来どおりのまま、引続いてこれまでのミシン刺繍営業を行つてゆくことを認め、又同店舗内に在る営業用財産についてもこれに伴つて当然相手方の帰属となると了解していたと云うのであるから、前認定のような当事者双方の婚姻生活の実情、いずれかに離婚の一方的有責原因の存在も認められない離婚の経緯事情からみて、上記六月四日の分与協議の状況が決して首肯しえないものでなく、かつ以下のように解する点も含め双方それぞれの取得した財産の額、範囲・程度も必しも不相当な割合とは云えないとみられることも思い併せると、六月四日の際、○○の店舗におけるミシン刺繍業に関する営業の問題については、その営業利益に関する点も含め、その一切を相手方の帰属とするとの分与協議が成立したものと解するのが相当であり、又その他の財産についても、明示黙示に各取得の範囲ないし額が定まつたとみられるから、従つて申立人と相手方間の離婚に伴う財産分与は、その対象全財産につき、前記六月四日の話合いにより分与協議が成立、解決しているものと云わなければならない。
5 そうとすれば、当事者双方の離婚に伴う財産分与については、既にその全部につき分与協議が成立しているものである以上、更にこれにつき分与審判を求めることは許されないことが明らかであるから、本件申立は相当でないものとしてこれを却下することとし、よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 西岡宣兄)